リサイクルよりリジュースだろう

リサイクルを推進しようという考えが日本に蔓延しているようだ。私は現役時代から、それはおかしいと語っていて、周りからおかしいと思われていた。 だけどそれは真実じゃないのか? 廃棄物を出して、それをリサイクルしようという発想はおかしい。 廃棄物を出さないでリサイクルしないというほうがまっとうじゃないのか? 家庭のことを考えてみよう。家内は私に似てものぐさだ。だから新聞紙のリサイクルくらいはするが、牛乳パックのリサイクルもトレイのリサイクルもしない。家内に言わせると、面倒だからしないのではなく、積極的にしないのだそうだ。 家内は結構真面目で、生ごみが回収されてどう処理されているのか市に聞いたらしい。もちろん燃やすのだが、可燃性プラスチックが全然ないと石油で燃やさなければならず、ある程度トレイが混入しているとそのまま燃やせると聞いたそうな。それを根拠に市の焼却場のために「積極的に」トレイを入れているそうだ。 まあ、それが適正かどうかはともかく、トレイの回収を考えるなら、トレイを使わないとか、買い方を考えるべきだろう。なにせ家庭から出るごみの量からいえば、8割9割は包装材だ。 今日もごみの袋をマンションのごみ置き場まで持って行ったが、その前に中をみたら、食品のパック類、冷凍食品のパック、ヨーグルト、ネクタリン、つくだ煮などなどの容器、洗剤やシャンプーのプラ容器、カミソリの袋と刃先のカバー、アマゾンで買った電話機の内装材などなど、 笑ってしまったが数日前アマゾンで電話機を買った…

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国語教育

最近は、英語を小学校から教えるとか論議されている。 しかしと思う。 言葉はコミュニケーションのツールであるとともに、考えるための道具である。 英語が上手になっても考えることができず、伝えるものを持っていなくては意味がない。 私は現在の国語教育は全然だめだと思うから、私は英語教育をする前に 日常日本語をもっともっとしっかりと教育しなければならないと考えている。文章を読んでその意味をしっかり把握できる。自分の考えを誤解されないように的確に表現できる。上手下手はともかく、主張をしっかりと文章に書くことができる、そういうことを教えなければならない。 え、そうしないとどんなことが困るかって? 一例をあげれば、ISO審査員のように文章に書いてないことを要求したり、行間を読めと語ったりするようになるのです。 国語を勉強しないとあんなふうになっちゃうのよ、あんなふうになってはいけません。   本日は本家に追加しました。 ケーススタディ 裏話 その1 http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/2013/iso552.htm   バカ話をご期待の向きは、もう一つの私がバカ話専用ブログへどうぞ ISO9001ISO14001  

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昨日の続き

昨日、国語という話が出てきた。国語と日本語が同じものかどうかはともかく、小中学校で教える国語というものは現実生活にあまり役に立たないのではないか。いやもっと現実的に役に立つものにしなければならないと思う。 ISO規格の日本語を読んでその意味をすぐに分かる人は少ないと思う。なにせ審査員でさえ日本語の意味を正確に理解していないのだから。 学校では国語で、古文とか詩歌などを教えることはない。誤解をされては困るが、そういうのは国語ではなく別の科目にしてほしい。 国語では、日常の日本語を教えるべきだ。「は」と「が」の使い分け、「ら抜き」がどこまでは良く、どういうのが悪いのか、なぜ悪いのか、主語述語を漏れなく正しく書けということを国語で教えるべきだ。 みなさんは、主語述語がつながらない審査報告書をみたことはありませんか? 私は何十件と見ている。それは審査報告書を書くのに今はエクセルなどでマクロを組んで、主語や証拠を入れると自動的に文章を作るようにしている認証会社が多いからだ。だけど会社はお金を払っているのだから、そんないいかげんな文章にお金を払うのはおかしいだろう? また規格の文章を読んで、正しく意味を読み取らず、自分流の解釈で不適合を出されるのははた迷惑である。目的と目標にそれぞれ実施計画が必要というふうに読み取れるというのは、万葉集を読むならばともかくイチゼロのISOの世界には不向きである。 いや、それどころかISO規格規格を読んで、環境影響評価とか有益な環境側面など存在しない…

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