ISO9001:2015

  久しぶりにJABのウェブサイトを見たらISO9001改定について規格協会のウェブに載っているというお報せがあった。 なにか新しい情報があるかと見たけれど中身は何もない。もっとも改定そのものも形変われども中身は何も変わらないようだ。 まあともかく、また意味のない規格改定が行われるわけだ、ヤレヤレ  

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昨日の続き

  ISOとは成功することが証明されているときに、それを実現する方法なのだろうか? そもそもISO9001とは品質マネジメントシステムではなく、品質保証の規格であった。品質保証とは、こうすればうまくいくということが分っているときに、そのうまくいくという条件を確実に維持すると客に約束することである。だから元々のISOに開発はない。開発は品質保証の埒外、そんなことはISO規格などに標準化できないと聞いたことがある。 しかし企業は枯れた製品を作り続ければ良いわけではない。常にチャレンジし冒険をしていかなければ明日はない。そういうものまでISOの標準化ができるのかというのは疑問である。いや、個人的にはできないだろうと思う。 だからISO9001で会社を良くすると語る人はどういう発想なのかちょっとわからない。 ISO9001もISO14001でも、関係者はできもしないことを宣伝するのを止めたらどうか? ISO9001で会社を良くしようと騙るのではなく、ISO9001で一定品質のものを作れるようにしようとか、ISO14001で環境を改善しようと騙るのではなく、ISO14001で遵法をしっかりしようとか、過去に起きた事故は二度と起こさない体制を作ろうというべきだと思う。 それは立派に価値があることなのだから。 そしてできもしないことをできると嘘をつくことは価値がないどころか犯罪です。 ISOで会社を良くすると騙ることは詐欺かもしれない。   本日は本家を更新しました。 …

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夢は実現できるのか

  昨日、夢ノートを書いて思い出したことがある。垣根涼介の「人生教習所」という小説がある。その中で『努力しても報われるとは限らない。しかし努力すればするほど報われる可能性は高くなる』とある。 そうだと思う。勉強でも仕事でもスポーツでも、努力すれば成功するとは限らない。しかし努力しなければ成功しないことは間違いない。しない確率が高くなるのだ。だからこそ目標に向かって努力するのが人間だと思う。 ISO規格では経営者はリソースを確保しろという。そのリソースは成功を確実にするものなのだろうか? 頑張っても成功しないほどわずかなリソースではどうしようもないだろうが、いくらあっても絶対に成功するとは限らない。 部下あるいは担当者は、与えられたリソースで計画を立てて頑張っても、そもそも目標を達成することは確率の問題だろう。成功しなかった場合、誰の責任なのか? 誰の責任でもないのだろうか? 本当はそこから考えなければならない。   ISO規格に書いてることを満たせば成功するということはありえない。 じゃあ、ISO規格を満たせば、規格を満たさないときよりも成功する可能性・確率は高くなるのか? 実を言って、それさえも誰も確かめていない。規格を作った人は検証していないだろう。常識的に考えて、そうだろうと思っただけではないのだろうか? PDCAという考えはISOオリジナルではないが、その発想その管理をすれば成功するというわけではない。 前出の「人生教習所」でも、野球のスランプにな…

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