語るなら命を懸けろ
私はほんとは本家が本元であって、このブログは支店というか看板くらいに考えている。
さて本家にいろいろ書いている。物語なんてのはコタツに入っていて書けるが、そうでないものは数字とか出典とかは結構気にしている。
普段私たちが会話をするとき、出所出典を厳密には考えないのが実際だ。あまりにも突拍子ないことを言わない限り、お互いにこれは冗談とかまた聞きだろうと解釈してくれる。
認証機関のウェブサイトを見て歩くと、結構重要なことを出典も明らかにせず書いているのが気になる。言葉は消えてしますけど、書き物は残る。ネットならキャッシュは何年も残る。そういうことが気になった。← まずいんじゃないかということだ。
そういえば国会で共産の小池議員が安倍首相に質問した件で、安倍さんバシリと「それが真実だということは、小池さん側が証明することが必要ですね。かつて偽メール事件がありましたね。それは結局、証明できなかったわけですよ。ということもあるわけですから、それをちゃんと説明していただかなければなりませんし、小池さんは『ある事務所』と言われましたが、雰囲気として、まるで私の事務所が関わっているかのごときのイメージを与えているのは事実でありますから、そういう印象操作の質問は辞めていただきたいと思います」
小池議員逃げ腰で「総理夫妻の政治的道義的責任は免れないのではないですか?」
大学院で環境法を習ったときの教授が「信義則を持ちだしたら終わりだ」って言ってましたが・・刑事裁判だ…