公差の続き

公差という考えがなければ物が作れないかというと、そうではない。 公差とは何かとなると、組み合う相手があるために寸法や形を一定範囲内に仕上げなければならないときに、その許容範囲を<数値で表す方法>でしかない。許容範囲を現物見本で表してもよいし(パスなどで通り止まりをみる)、組み合う相手方のサンプルを作ってそれと組み合わせて作っても、目的は果たす。公差で指定する方法は一手段に過ぎない。そして測定器が存在しなければ公差という表現をする発想がでるわけがない。 実際に公差が指定される前にも量産はあったし互換性という考えもあった。公差がなければ職人芸とか一品料理だけあったわけではない。計測器がなくても量産はできるし互換性も実現できる。そうしなければ工業は発展しないだろう。 100数十年前のアメリカで、政府から小銃を受注したメーカーが生産準備に1年とか2年とかかけてすべての部品のゲージ(中心・限界)を作り、それを複数の製造工場に渡して量産をした。そして各工場から集めた部品を組み合わせるとすべての銃が完動したというお話を読んだことがある。 似たようなものにアメリカで製造した車を何台かイギリスにもっていって、部品にばらして再度ランダムに組み合わせてすべての車が正常に走ったという。それにイギリス人は驚いたという話を聞いたことがある。多分1910年頃だろう。測定器がなくても公差指定がなくても物は作れるのだ。 ゲージを作るには最初完全な銃を作り、その部品ごとに動作…

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公差の続き

公差というものがいつ頃からあったのか、ご存知でしょうか? 私も知りませんでした。 公差の考えとか表記法は、なし崩し的に成立してきたのでしょうけど、おおむね第二次大戦前という時期らしい。それ以前はなかったということ じゃあそれ以前の機械は?飛行機は?となりますが、現物合わせ、一品もの、ゲージ基準とかいろいろあったようです。なにしろ公差の精度の測定器がなければ公差を書いても意味がありません。 じゃあノギスはいつから、マイクロはいつからとなりますが、これもそんな古い歴史はないんですね 実用的なマイクロもノギスも1930年以降とのこと。それが現れて初めて0.05とか公差が書けたわけです。 そんな状況で作られた、軍艦の蒸気タービンは、飛行機のエンジンはと思うとまともに動いたのが不思議です。日本の第二次大戦時の戦車はディーゼルエンジンでしたが、圧縮比の高いシリンダとピストンをどうやって加工したのか、組み合わせたのか、とにかく大変だったろうなあと思います。 温故知新、自分たちが今当たり前にしていることがどういうふうに成り立ったのか知るのは面白いですね 本日は本家を更新しました。 異世界審査員2.響公園 http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/2017/isekai2.html  

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公差についての論文

昨日の続きである。 公差なんて誰だって知っているだろう。昔は寸法しかなかったが、今は幾何だ、形状だといろいろある。 しかしその歴史を習った記憶がない。私は知りたいと思って書籍の検索、ネットの検索、研究論文の検索をした。しかし見つからない。 正確に言えば見つかったのはただひとつであった。 森貞彦、「機械製図における寸法表現法の諸相とその変遷について」1993である。 http://www.jshit.org/kaishi_bn1/09_1mori.pdf その中で引用しているブッカーの「製図の歴史」もあるが、それは製図がメインであり、公差についてはほんの数ページしかない。 ともあれ森貞彦の論文を読んで感動しました。 ご一読されることを勧める。

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