公差の続き
公差という考えがなければ物が作れないかというと、そうではない。
公差とは何かとなると、組み合う相手があるために寸法や形を一定範囲内に仕上げなければならないときに、その許容範囲を<数値で表す方法>でしかない。許容範囲を現物見本で表してもよいし(パスなどで通り止まりをみる)、組み合う相手方のサンプルを作ってそれと組み合わせて作っても、目的は果たす。公差で指定する方法は一手段に過ぎない。そして測定器が存在しなければ公差という表現をする発想がでるわけがない。
実際に公差が指定される前にも量産はあったし互換性という考えもあった。公差がなければ職人芸とか一品料理だけあったわけではない。計測器がなくても量産はできるし互換性も実現できる。そうしなければ工業は発展しないだろう。
100数十年前のアメリカで、政府から小銃を受注したメーカーが生産準備に1年とか2年とかかけてすべての部品のゲージ(中心・限界)を作り、それを複数の製造工場に渡して量産をした。そして各工場から集めた部品を組み合わせるとすべての銃が完動したというお話を読んだことがある。
似たようなものにアメリカで製造した車を何台かイギリスにもっていって、部品にばらして再度ランダムに組み合わせてすべての車が正常に走ったという。それにイギリス人は驚いたという話を聞いたことがある。多分1910年頃だろう。測定器がなくても公差指定がなくても物は作れるのだ。
ゲージを作るには最初完全な銃を作り、その部品ごとに動作…