復帰しました

ブログを書くのは久しぶりである。 病気と言っても大したことはないのだが、予後不良(よごふりょう・死ぬまで治らない)となると本人としては大ショックであった。いや過去形ではなく現在形であり未来形であるのだが・・ まあ、多少制限があっても生活に困ることではないので、普段の生活に戻るというか気にしないで行こうと思う。 ということで本日は復活第一日である。 たった1週間で復活かなどと冷やかしてはいけない。   パソコンを新しくしたのは昨年6月だった。ハードディスクが景気の良い音を出すようになり、だめになる前にとパソコンを更新した。 そのとき新しいものを使わず、N様からエルゴノミクスのキーボードをいただいたのでそれを使った。特に理由はないが新しいものを袋を破って使うまでないと思った。 それが暮れに動きが渋くなった。普通の会社員が業務で打つ倍、一般家庭ならぱパソコンの寿命までの入力回数以上を1年間に打つ私だから、寿命が来るのも当然だ。今までも10か月か1年で交換していた。それでキーボードとマウスも新しいパソコンに付いてきたにものにした。 それから私のタイプミスが増えた。老化現象だろうか、キー入力が減ったから技量が落ちてきたのかと思っていた。たまたま片付けようとして古いキーボードを引っ張り出した。捨てる前にひょっとしてとキーボードのピッチを測ると、新しいパソコンについてきたものは18.5ミリ、古いものは19ジャストだった。 見た目フルサイズであ…

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本日は本家を更新しました。

本日本家を更新しました。 異世界審査員53.未来の歴史その6 http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/2018/isekai53.html 家でごろごろしていて駄文を書く気にもなれないのですが、書き溜めていたものは定期的にアップしようかと思います。

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op22さん おたよりありがとうございます

カキコいただいた続きです。 ●ISO認証が本格的に始まった1992年から1995年くらいまで 認証機関は外資系しかなく、審査員は船級検査とか砂漠の中でプラント審査をしていたような人ばかりでした。だから酒、お土産、お〇な、もうや〇ざか何かという感じでした。ISO担当としては身の危険を感じたこともありました。 ただ日本人も外人も審査はまっとうでしたね。おかしな解釈はなく常に英文を見ていました。彼らは審査が会社に貢献するなんてことは考えていませんでした。彼らは顧客の代理人と認識していましたし、それは正しいです。 ●1996年から1998年くらい 日系の認証機関が立ち上がり紳士的な審査になりましたが、規格とか審査というものを知らない人ばかりって感じでした。審査に来て守衛にISO規格を質問したという実話もありましたが、規格をわかってねえなあという人ばかり。極めつけは会社に貢献するってのたまわくんですよ、アキレマシタ ●1999年くらいから2004年くらいまで 2000年改定でISO9001が品質保証から品質マネジメントシステムに名が変わるからということを根拠に、もうお花畑審査員というのでしょうか?会社を良くしてやると余計なお世話で誤ったプラスアルファの規格解釈で会社側を困らすばかり。その頃になると私も自信がついてきましたから常に議論しましたが、審査員もプライドが高くモウダメポ ●2005年くらいから 認証件数も減少をはじめ、会社側も対等に話をするようになり、審査員は不適合を出さなくなりまし…

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