ISOは宗教なのか?
1994年頃になると国内でも雨後の筍のようにいくつも認証機関が名乗りを上げた時代である。
私はその前に最初はイギリスの小規模認証機関に直接依頼、次もイギリス系の大手に認証、三度目は日系大手認証機関に依頼して経験()を積んだ。
二度目以降は日本人の審査員による日本語で審査だった。
当時は審査員は言いたい放題で好き勝手なことを言っていた。彼らはそれまで日本の改善活動の主流だったTQCとか小集団活動をけなすことが多かった。
「ISOはルールに基づく管理であり、TQCのような非科学的なものとは違う。あれは宗教と同じだ」なんて審査の場で語っていたのだ。
あれから25年、彼らが今生きていれば85以上になっているだろう。
ところが面白い現象がある。
私は認証機関とかISOコンサルのメルマガをいくつか取っているが、最近のメルマガは宗教じみている。ISO規格要求に基づき粛々と……だけではだめなのだろうか。
この要求事項の本意は……とか、要求を満たすだけでよいわけではない。このあらねばならない……といった記述を多々見受ける。
TQCもISOも到達点は理念となり宗教となるのだろうか?
それとももう手がないので空理空論に走るしかないのだろうか?
どうも後者のような気がするぞ(笑)