「と学会」というものをご存じだろうか?
「と」は「とんでも」の「と」であり、トンデモ学会の略だそうだ。
名称を見ただけでアヤシイと思い、「ムー」なんて雑誌とかUFOとか霊魂なんてのを研究()しているのかと思ったら、その逆だった。
と学会とは、トンデモ本とかトンデモ学説を検証したり批判することを目的とする団体だそうだ。
何かの本を読んでいて「と学会」のメンバーが批判本を書いているというのがあったので、興味を持ち図書館から何冊かかりてきて今読んでいる。
とりあえずの第一冊めは「トンデモ日本史の真相」という本だ。250ページくらいで、真面目に読めば何時間もかかるし軽く流せば2時間半で読める。
アヤシイお話をたくさん取り上げて、最終的にはそんなの嘘だというので終わる。
何年か前、家内と与那国島の海底遺跡というのを見た。大きな岩が階段状に削られたり、家を建てたような跡地があったりする。
ジンギスカンは源義経だという伝説もある。
かぐや姫伝説は中国から伝わったという説もある。
聖徳太子はいなかったという説もある。
松尾芭蕉は毎日長距離を歩いたから忍者だったという話もある。35話も載っている。
著者はどんな人か知らないけど、結構調べていて引用文献もしっかりしている。
ところで上にあげた例はご存じだろうか?
与那国島の海底遺跡は遺跡ではなく自然の奇岩だそうだ。
ジンギスカンはまるっきりの願望
かぐや姫は、日本の伝説が中国に伝わったそうだ。
聖徳太子は生存時そうは呼ばれていなかったが、聖徳太子がしたといわれる仕事をした人はいるのだという。外国でもホメーロスはいなかったという説があったらしいが、ホメーロスはいなくても、彼が作ったといわれる作品を作った人はいたというのが結論だったそうだ。まあ、そうだろうなあ~。そもそも当時の人の名前は生前は我々が習った名前ではない。歴代天皇の名も諡(おくりな)であって、生きているときは今上陛下である。それに天皇と呼ばれるようになったのは40代以降であり、それ以前の天皇はオオキミとかスメラミコトと呼ばれていた。聖徳太子も後世の呼び方で厩戸王(うまやどおう)だったはず。
松尾芭蕉は多い日で40キロくらいで、歩かないときは芭蕉の弟子の家に長い間世話になったりしていた。江戸時代は車も電車もないから旅に出ると10里(40キロ)くらい歩くのは普通だったというのはよく聞く話。
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