能登半島地震から3か月、行政や住民、ボランティアによって復旧は進んでいるのだろうが、当事者にとってはまだ前途多難大変だろう。
東日本大震災のとき、私の伯父が避難所で具合が悪くなり病院に入院したがそのまま亡くなった。当時伯父は90歳くらいだったから避難所にひと月もいれば体調がおかしくなるのは当然だろう。
夕飯を食べながらテレビを見ていたら、珠洲市の海岸に住んでいた人が津波で逃げようとしたら細い道なので両側の家が崩れていて道がふさがっていたという。崩れた家の屋根の瓦を踏んで高台に逃げたと語っていた。
我が家の避難所は数百メートル離れた小学校だが、歩道付きの片側1車線で広い歩道が付いた道が半分くらい、あとの半分は歩道なしセンターラインなしの道。センターラインがあると幅4メートル以上だそうだから、幅が4メートル未満のわけだ。
両側は木造2階立ての家屋がセットバックなし並んでいるから、地震で崩れたら両方から道の中心まで建物が倒れてくる可能性は大である。
となるとそのときどうするかであるが、道路の歩道にビニールシートでも敷いて行政の指示でも待つしかないのだろうか?
私も心配性なので以前避難ルートをたどっていったことがあるが、家が倒れて道がふさがっていることまでは頭になかった。現実は厳しいね。
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