私が初めて環境監査をしたときから30年が経った。
1994年はもうISO9001は認証が必要なところは一巡して、その頃は必要はないけどかっこいいから認証しようという、自発的認証とか積極的認証と言われるものとなっていた。
果たしてそれがあるべき姿なのかと私はその時から疑問に思っていた。だってISO9001は品質保証の規格だから、誰に対して品質保証をするのか、はっきりしていなければ意味がなかろう。
と言っても通じる世の中ではない。
そんな中、当時働いていた会社でISO14001も見据えて環境監査を始めたのである。
ISO9001認証に関わった人を集めて、他の工場に行って環境監査をさせたわけ。もちろんお互いに監査をしあうわけである。
私は元々現場の人間で、危険物取扱者、作業環境測定士、環境計量士(試験だけ)、公害防止管理者(水1)などを持っていたので選ばれたのだろう。
そのとき私は、その環境監査に意味があるのかどうかこれまた疑問に思った。
まず監査とは基準との比較である。基準がはっきりしていなければ監査は成り立たない。環境監査をするぞといったとき、誰もが真っ先に思うのは法規制だろう。だが当時は環境法規制と言ってもざるみたいな法律であって法律だけではチェックするところがない。
そんなことないだろうとは言わないこと。
まず典型七公害について規制はある。しかし今よりは対象範囲も狭くメッシュも荒く、記録の数も少なかった。
廃棄物にいたっては、はるかに規制が甘く記録も少ない。マニフェストが登場したのは特管については1993年から、通常の産廃は1998年からである。
今当たり前に思える規制の多くは20世紀末か21世紀になってからである。
監査側の思い付きとかshallでなくshouldを言い出したら監査ではない。それは指導である。だが指導するにも基準がなければならない。会社は営利を求めるのだから、こうしたほうが良いとか言われても、法規制以上に対策するには根拠が必要だ。100万円かけると安全が200万円分増すといっても、それなら生産性を上げたほうが良いと判断してもおかしくない。
そんなことで監査基準が確固たる根拠がなければ意味がないなと思った。
それはISO14001が登場したときもそう考えた。環境側面がどうこうと言われても、それがどうしたとしか言いようがない。
1997年に某認証機関の講習会を受けたとき、著しい環境側面とは法規制を受けるもの、過去に事故を起こしたもの、事故が起きると多大な金額がかかるものだと教えられた。
今でもこれは至言だと思う。これ以上納得できる説明を聞いたことがない。
ISO14001の顧客は誰なのか? 本社、取引先だろう。では本社や取引先が現在の要求事項を要求すると思うか?
彼らの望むことは、事故や違反で事業継続できなくなるようなことを起こさないことではないのか?
ならば、法規制についてはもっと補強すべきだし、環境側面はおままごとではなく、意味のある形にすべきだ。
そしてままごとISOをしている企業には認証を与えないということが最重要だろう。
だが、あれから30年、今も大して、いや今も全然進歩がないようだ。
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