op22さん おたよりありがとうございます

カキコいただいた続きです。
●ISO認証が本格的に始まった1992年から1995年くらいまで
認証機関は外資系しかなく、審査員は船級検査とか砂漠の中でプラント審査をしていたような人ばかりでした。だから酒、お土産、お〇な、もうや〇ざか何かという感じでした。ISO担当としては身の危険を感じたこともありました。
ただ日本人も外人も審査はまっとうでしたね。おかしな解釈はなく常に英文を見ていました。彼らは審査が会社に貢献するなんてことは考えていませんでした。彼らは顧客の代理人と認識していましたし、それは正しいです。
●1996年から1998年くらい
日系の認証機関が立ち上がり紳士的な審査になりましたが、規格とか審査というものを知らない人ばかりって感じでした。審査に来て守衛にISO規格を質問したという実話もありましたが、規格をわかってねえなあという人ばかり。極めつけは会社に貢献するってのたまわくんですよ、アキレマシタ
●1999年くらいから2004年くらいまで
2000年改定でISO9001が品質保証から品質マネジメントシステムに名が変わるからということを根拠に、もうお花畑審査員というのでしょうか?会社を良くしてやると余計なお世話で誤ったプラスアルファの規格解釈で会社側を困らすばかり。その頃になると私も自信がついてきましたから常に議論しましたが、審査員もプライドが高くモウダメポ
●2005年くらいから
認証件数も減少をはじめ、会社側も対等に話をするようになり、審査員は不適合を出さなくなりました。そして認証機関を変えないでください、審査評価はよろしくお願いします、認証を受ける会社を紹介してください、お前は乞食か?
●2012年私引退しました
知り合いの審査員に引退あいさつ回りしたとき、みなさん認証ビジネスは先行き暗いと自信喪失気味でした。そんなことを思うなら、1992年から紳士的に、規格はしっかりと理解して、余計なお世話をしなければよかったのにと思います。
まあ会社の仕事は辛いのはわかります。でも売るのではなく、お金を払う仕事でもタカリ、見当違いの要求など受けてきた身としてはもう少し真面目にやれよと思うのです。
武田鉄矢でさえ水戸黄門を演じるようになりましたから、私も黄門様になったつもりで許してあげようと思います。


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