思い返すと


私は50歳くらいまでISO審査員になりたかった。当時は工場にいてISO9001とかISO14001の対応をしていた。審査員はみな自尊心が高く、物知らずで、横暴極まりなかった。だから自分が審査員になってまっとうな審査をしてやろうなんて健気なことを考えたのです。
ところがその直後、リストラの嵐にあい、そんな夢想なんてしている余裕はなくなった。
しかし新しい仕事はISOとは関係なかったが、仕事で知り合った人や会社からISO認証指導を頼まれることが多く、それがやりがいがあり楽しかった。その頃になると経験も積み、度胸もついたから審査員とチャンチャンバラバラするのも怖くなくなった。問題があれば喜んで認証機関にも行った。楽しいねえ~
職場の先輩格、仕事の知り合いなどでISO審査員になる人も多かったが、そのときISO審査員になるというのは会社で昇進しないとか子会社に行けないとかという方が多く、わざわざなるようなものではなかった。
世の中はそうなのかと驚いたことを覚えている。ISO審査員になりたいと神棚に祈るようなものではなかったのだ。
審査員になった先輩はときどき古巣に遊びに来て、近況を話してくれたが、今自分がしている仕事より楽しいとかやりがいがあるようにも思えなかった。
ということで私は56くらいになると審査員になる気はまったく喪失した。
もちろん当時は審査員になると会社の定年よりも歳をとっても仕事ができると言われていたが、実際に自分が嘱託になった頃は、ISO審査員になった方々も契約審査員くらいがせいぜいという状況になった。知り合いで同年輩の方も既に審査員を引退している。
どっちにしても同じかと思う。会社人生の最後を楽しく働けたということでは私の選択は間違っていなかったと思う。
とはいえ、重大なことがある。審査員を引退した方は、ISO規格改定とか審査の問題などを気にしている人はいないのだ。審査員にならなかった私が今も気にしているというのは病気だろうか?
とながなが書いたのは、たまたま都営新宿線の乗ろうとJRの本八幡で降りて地下鉄入り口まで歩いていたら、ISO審査員になった知り合いそっくりに会ったのだ。近くに寄ってみたら人違いだった。でまあ上に書いたようなことをサッサーと頭に浮かんだわけよ、それだけ

この記事へのコメント